research

作品か研究か

例えば我々は髪の毛をなでられれば深く安心し,手を握られれば動揺するか落ち着くかします.こうした例は,人間同士のコミュニケーションにおいて触覚の感性的側面が他に代えがたい重要な役割を果たしていることを示しています.

これまでの触覚提示は,たとえばロボットの遠隔操作や遠隔手術等のクリティカルミッション,福祉用途では感覚代行など,「正確なリアリティの再現」,あるいは「より多くの情報伝達」を目標に据えてきました.こうした応用の重要性はこれからも変わることはありませんが,現在,そして今後のネットワーク社会の発展を考えると,一般ユーザにとっても魅力的な触覚コンテンツを考える必要があります.つまり視覚や聴覚がすでに「作品」を生み出しているように,触覚も単独で作品となるための準備が必要です.

例えば聴覚においては和音やメロディの様な感性的基本単位があって初めて音楽制作が可能となりました.とすれば,触覚コンテンツを製作するためにも,触覚において快・不快とされる基本要素を見つけだす必要があると考えられます.それが聴覚における和音や不協和音のように周波数領域で語れるものなのか,メロディのように時間-周波数で語れるものなのか,画像のようにある種の時空間パターンとなるのかはまだ分かりません.しかし触覚研究が現在は「純音」を出すレベルでしかないことは強く認識すべきです.

触覚における感性的基本単位の正体がわからない以上,具体的なものから濾過,抽出していく分析的方法と,純音を組み合わせていく構成的方法の両アプローチを試みる必要があります.

前者の方法では,日常的な感性的触覚体験を人工的に再現することから始めます.触覚における爽快な,あるいは気持ちの悪い感触は数多くありますが,それらを統制された環境下で再現すると共に,要素をそぎ落としていき,重要な成分を同定する作業になります.最終段階として後者の構成的方法を用いて再現出来れば,触覚における感性的基本要素が工学的に完全に分かったことになります.この段階では,現実世界ではありえない感性的触覚コンテンツ,すなわち触覚の音楽が実現できると考えられます.

当研究室の研究が,作品なのか基礎研究なのかわからない,と言われるのにはこのような背景があります.

遊びか研究か

研究は遊びです,というのが最も潔い答えかもしれませんが,実際,エンタテインメントとインタフェース研究は深い関係があります.

「楽しい」とはなんでしょうか?「楽しい」を構成する第一の要素は感覚的なもの,つまり快感や不快感でしょう.しかしそれだけではほとんどの楽しさが理解できないことにはすぐ気付くと思います.
「楽しい」を構成するもっとも重要な要素はおそらく「ものがたり」です.より正確に言うと,ストーリーによって実現される自分自身の達成感,自己実現感覚を「楽しい」と言う,というのが,とりあえずの簡潔な理解と思われます.たとえば中毒性の高いゲームはこの達成感が短時間に繰り返し生じるように設計されています.

するとインタフェースの研究は,二重の意味でエンタテインメントと関係があることがわかります.
●第一にインタフェースの研究は感覚を扱います.
●第二に,インタフェースの研究は「ものがたり」のための舞台装置を実現します.
ですからインタフェースの研究が遊びに密接にかかわっているのは間違いありません.

当研究室の研究が,遊びなのか研究なのかわからない,とは今のところ言われていませんが,それは残念なことかもしれません.